(ж>▽<)Enjoy!! Organic Life♪

オーガニックライフアドバイザーのつぶやき

改めて

プロフィールや自己紹介にも経歴は書いてありますが、上辺のものなのでもうちょっと掘り下げて書こうと思いました。





アトピーについて記憶があるのは、小学校のとき。


高松市の栗林小学校という学校に入学したんですが、そこで1年生の2学期くらいまでは過ごしました。


その時はイジめられていました。


正直、はっきりとは覚えていないんですが、当時症状は酷かったんだと思います。


「お化け~」


などと言われた事があるのを記憶しています。

むしろそれ以外の記憶はほとんどありません。


学校の給食が食べれず、一人だけお弁当を持っていっていました。


授業参観のときに、親と一緒に給食を食べるといったイベントがあって

他の親に見られるのがすごく嫌だった記憶があります。



1年生の途中から、親の仕事で東京へ。


渋谷区の西原小学校というところへ。


吉永小百合の母校ですビックリマーク←ちょっと自慢(笑)


東京にいたころはそこまで体調は悪くなかったように記憶しています。


友達も結構多く、楽しかったイメージが強いです。


イジめられるどころか、むしろガキ大将っ気があったような・・・

代々木上原に住んでいたのですが、体力をつけるためとスイミングスクールに通っていました。

その場所がなんと原宿クラッカー

竹下通りの入り口にあるビルの5階ぐらいにあったスクールに一人で電車で通ってました。


学習塾にも通っていて、塾は下北沢でした。


今考えるとすごい都会っこでした( ´艸`)



小学校5年生にまた引越しで、福岡へ。


東京の居心地がよかったので、親に猛烈に反対した記憶があります。

。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


福岡へ着たてのころは、博多弁が聞き取れずに苦労したのを覚えています。

福岡の小学校ではあまり馴染めなかった記憶があります。


さほど明るい性格でもなく、内気で塾通いばっかりしていました。

軽いイジメをここでも受けたことがありました。


トイレ掃除をしているときに、背中にサンポールを掛けられたことがありました。

親から担任に連絡が行き、掛けた相手の子が親と自宅まで謝りに来ました。


今考えると、その時は自分自身、根暗でコミュニケーションも下手だったので、

いじめられっこの典型だったんだろうなぁと(笑)


中学受験をするために、運動は何もせずに塾に通っていました。


しかし、そこまで頭もよくはなく福岡の有名私立にはことごとく落ちました。

滑り止めに受かったんですが、結局行きませんでした。



そのまま公立中学校へ。


これが自分の運命を大きく変えることになりました。


公立だったので、成績は結構いいほうだったと思います。


中学校で出会ったのが、その後自分の人間形成に大きな影響を与えることになるラグビーでした。


友達に誘われて入ったラグビー部。


体格も大きいほうだったので、重宝されていたと思います。


ラグビー部は後発の部活動だったので、学校で練習が出来ませんでした。

授業が終わってから一度帰り、着替えを持って近くの運動公園で練習でした。


ホントによく走る部活で、途中で何回も辞めたいと友達と話していたのを記憶しています。

学校からの下校中、仲のいい部活仲間と今日はどうやって休もうかと相談していたのを覚えています(笑)


結局辞めるのも勇気がなくて辞めなかっただけなんですけどね。

1年生のときに、3年生の先輩に言われた何気ない言葉がありました。


「足速いなあせる


おそらく、思っていたより早かった程度の意味で言ったんだと思います。


しかし、その当時の自分にしてみれば、べた褒めされたような気分でした。

単純なんでにひひ


1年生からしたら3年生なんて雲の上の存在です。

その3年生で、レギュラーのウィングの先輩に足が速いなんて言われたら、勘違いしちゃいますよね。


それから、毎年タイムを計るたびに足が速くなっていってました。

中3で50Mが7秒フラットぐらいだったかな。

高校1年のときで6秒7くらいでした。


自分の性格が変わり始めたのが、2年生になってから先発メンバーに入れるようになってからぐらいです。


部活は強豪で、九州大会で4連覇していたチームでした。


そんななかで運動経験もまともになかった自分が、2年生で試合に出れるということがちょっと自信になっていたかもしれません。




ある公式戦の試合当日、予防接種か何かの注射を打って試合に出れなくなったことがありました。



当日に顧問の先生に言ったため、先生は当然お怒り。

しかも、試合の結果も悪く珍しく負けたような記憶があります。



その試合後、顧問の先生に


「お前が出ていないからだぞ。」


と言われました。


ニュアンスは違ったかもしれませんが、そのようなことを言われ責任感というものを感じた瞬間でした。

先生もただ八つ当たりに言っただけかもしれませんが、自分には効果的でした。


そのくらいから、自分にはラグビーという自信がつきました。


なので、中学校ではイジめられることもまったくありませんでした。


3年次にはラグビー部で副将にもなれました。



先輩が4連覇してきた成績を自分たちが最上級生になったときに、守れませんでした。


九州大会を掛けた県大会の決勝戦で、苦手意識のあったライバル校に敗れました。


その時はもう死んだような気分でした。


自分でも信じられない結果に現実を受け入れられなかった覚えがあります。


さらに、九州大会の終了後に選ばれる九州選抜にも選ばれなかった。。。。




選ばれるとタカをくくっていただけにショックが大きかったのを覚えています。



2年生のときの頑張りとは違い、3年生になって新チームになったときに同級生のレベルにショックを受けました。

こういうといい気になっていたと言われるかもしれませんが、そのときは割り切って考えたりすることができず、

やる気が半減していたように思います。

その結果、サボり癖というか2年生のときほどの必死さはなかったです。



だいぶ話がラグビーよりになってしまいましたが、今考えると性格形成において大きな影響を受けているので書きました。


長くなりそうなので、1部完。です。


2部は高校から。