改めて②
第2部です。
中学校のときは運動をしながら病院ジプシーでした。
親がどこかしらから聞いてきた病院に行ったりしていました。
おそらく行く先々でステロイドを処方されるものの大幅な改善が見込めなかったんで、通院が続かない。
の繰り返しだったと思います。
ラグビーは擦り傷が多いので、二次感染を起こして部活を休んだことが何回かありました。
でも、そこまで悪くはなかったと思います。
おそらく悪いときはステロイドを使っていたため、抑えられてはいたので。
そして、高校へ。
隣の県の大分へ越境入学←ここはトップシークレットです
下宿があり、食事はついていて部屋も一人部屋でした。
しかし、思い起こせばこの下宿が問題だったと思います。
当時は知識がなかったので、食事なども無頓着でしたが、思い出してみると酷かったと思います。
一例をあげると
朝食は牛乳一杯と冷蔵の肉まんをチンしたのが2個。
お昼は弁当→ご飯の上に冷えて油がギトギトの焼肉が乗ったもの。
晩御飯はメインが二つ。
うどんとチキンカツとか。
とにかく栄養バランスも悪く、素材も悪い。
ラグビー部の下宿だったもあり、炭水化物と脂質の多い食事ばかりでした。
手作りと言う感じではなく、レトルトや加工品が多かった。
この下宿も2年で出ることにし、3年からは部屋を借りて岐阜からおばあちゃんを呼んで家の仕事をお願いしていました。
このころは症状が悪く、落屑が多くベッド周りの掃除が大変だったのを覚えてます。
しかし、食事はおばあちゃんが作ってくれるものなので、手作りの野菜中心のメニューでした。
このころから野菜が好きになっていきました。
しかし、当時はおばあちゃんのことなんか考えずにいたので、酷く寂しい思いをさせてしまいました。
なので、いまだにおばあちゃんには申し訳ない気持ちで一杯です。
その時の恩に報いるためにも、できるだけ会いに行くようにしています。
名古屋に住んでいたときも、できるだけ会いに行っていました。
社会人のときは、月に一度は買い物に一緒に行っていました。
山のほうに住んでいるので、買い物に行くのも一苦労なんで、誰かが連れて行ってあげないと。
しかし、おばあちゃんはとても気を使う人なので、あまり人に頼りません。
孫の自分にも気を使ってくれるので、もうちょっと我侭言ってほしいです。
こうやって書いていると、ちょっと心配になってきたんでまた後で電話しよっ
自分ひとりで名古屋から福岡に帰ってきてしまったんで、心配でしょうがないんです。。。
また話がそれてしまいました。。。
そして、大学へ。